【医療・介護あれこれ】西日本国際福祉機器展①『繁活シンポジウム』

長 幸美

アドバイザリー

先日、平成27年10月29日~30日まで、小倉の西日本総合展示場で開催された「西日本国際福祉機器展」に行ってきました。今回はその時の印象に残ったことをお伝えします。
もちろん、「福祉機器展」というくらいですから、さまざまな福祉機器が展示・紹介されていました。おなじみの杖や車いす、おむつや排せつケア用品から、リフトや福祉用ベッドをはじめとした家具、福祉車両まで、実にさまざまな展示があり興味深いものでした。韓国の企業の出店もありました。また、北九州市も複数のブースを出され、取組の紹介がありました。

しかし、今回は中で行われたシンポジウムに注目してみたいと思います。

今年のテーマはやはり『地域包括ケア』だったように思います。弊社もコラムの中で幾度となく取り上げてまいりましたが、『地域包括ケア』とは、高齢者だけではなく、子供も障害を持った人も、「地域の中で安心して住み続ける」ことができる「まちづくりだと思います。そのヒントがたくさん詰まったものでした。

その一つが、『繋活シンポジウム』でした。
繋活』とは、『生きるを繋ぐ』・・・つまり、終末期だけではなく人生の最期まで生き切る(生き抜く)、命を繋いでいくという意味があるそうです。『終活』という言葉は聞いたことがありましたが、『繋活』という言葉は初めてで、二ノ坂保喜先生(にのさかクリニック院長、福岡市)のお名前にもひかれて、参加しました。ちなみに、終活とは「人生の終わりをより良いものとするため、事前に準備を行うこと」で、全然意味合いが違います。
二ノ坂先生は福岡市でも有名な在宅医療を熱心に行われ、『在宅ホスピス』を進めておられる先生で、私も勉強会に参加させていただいたことがあります。今回は、記念講演で事例を紹介していただきながら、『病気を抱えながら生きること』『街づくりがあって初めて地域包括ケアが生きてくる』という内容のお話がありました。
そのあと、行政をはじめ、訪問看護師や実際に黒崎の商店街から街づくりを発信されている方などなど・・・5名の方が発表され、シンポジウムで意見交換が行われました。

大切なことは、いくつになっても『自分の足で立って生きる』ということ、これは自立している生き方の象徴であり、どう生きるか、何を選択するのかは本人次第だということです。
医療は敷居が高いといわれます。これは、「コトバ」の壁があるためだと考えられています。しかし、カンファレンス等において、その『コトバ』を共通にして、場面を共有することにより、患者さまやその家族さまを中心として、『チームを作る』こと、『一人では何もできない』ということです。逆に言うと地域の方々と、一緒に考えていく仲間がいれば何でもできるということではないでしょうか?

印象に残った二ノ坂先生の言葉で、『在宅ホスピスが地域を支える』という言葉がありました。これは『地域包括ケア』の最たるものだと思います。なぜならば、地域包括ケア』こそ『24時間対応が基本』であり、『生活の場を支える』ことだとこのシンポジウムの中で改めて感じました。そのために医療機関はどのようにしなければならないのか?
考えていかなければならないなあと感じております。

二ノ坂先生のお話しの中の事例で、急性期の病院の先生の言葉がありました。
がんの治療中の患者に対し急性期の病院の先生は『もうすることがありません』とおっしゃったそうです。治療中の患者にとって『することがない』ということほど残酷なことはないと思います。それでも地域の中で生活していかなければならない、『生きていかなければならない』のです。

私だったらどうするだろうか? 家族がそのように宣告されたら、落ち着いて受け止めることができるのかしら・・・と改めて考えさせられました。自暴自棄になるか?それとも何か無いのかと治療方法を探し回るかも知れません。
また、医療に関わる端くれとして、何を考え、行動を起こしていけばよいのだろうか?
考えてもなかなか結論は出ませんが、状況を受け止め、寄り添い、ともに考えていくことができれば、また、私は冷静に受け止め、話を聞いてくださる第三者の方が欲しいなあと思いました。

皆さんどのようにお考えになりますか?
このような事例で、どのように支え手になり、寄り添っていくことができるでしょうか?
病院の中で、クリニックの中で、事業所の中で、地域の中で・・・、一度話をしてみられては如何でしょうか?

次回は、『認知症になっても安心して住み続けられる街づくり』についてお伝えしたいと思います。

経営コンサルティング部
経営支援課

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